
私が現役引退を決断しUターンした理由は、母が80歳を超え入退院を繰り返すようになったが、今のような介護制度がなかったからでした。その母も、平成19年の3月に3回忌を終えました。
Uターンするに当り、何が不安材料だったか、現実に生活してどうだったか。事前に予想・計画した事は現実の生活に適合できたのかを、お知らせできればと思います。
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不安材料はなかったか。
私が移住した所は、高校生まで住んでいた故郷から車で10分くらいかかる地縁血縁のまったくない集落でした。
もっとも不安だったのは、病気の時の医療体制である。私には子供時代の身近な家族の悲しい出来事が、今も記憶として鮮明に残る。
しかし実際に生活して、田舎生活でも医療に対する不安はまったくありませんでした。医療行政・病院・診療所などの体制・システムが、質・量共に予想以上に整備されていたからです。しかも、都会と違い田舎では医療側と患者側の温かいコミュ二ケーションが、患者の安心感を増幅してくれます。
離島の不利な条件になりがちな交通アクセスも、陸・海・空ともに予想以上に整備されている。但し、車を運転することが必要条件になりますが……。
2 インターネット等の効果
私は東京にいた当時からパソコンを利用していたので、インターネットや電子メールのお陰で、離島特有の情報の不利・不便は実感していない。ニュース・行政・買い物・予約などで、時間・場所の制約のないインターネットの効果は大きいです。
私は無類の読書好きで、読みたい本はインターネットで注文し自宅に届く。知的向上心のある仲間と、塾形式で勉強会を続けている。講義する内容はインターネットで検索し入手できる。知的刺激に恵まれない田舎で、知的満足感をどのように得るかは難題ですね。
3 計画した事と現実の生活
現役引退後の経済的な計画は万全を期していたので、収入のある仕事はまったく考える必要がなく、問題は日々の生活の中での心の充実感でした。
現役時代からの夢であった“自給自足のできる生活”のために、故郷に近い集落を永住の地と決めたのだ。約1反の畑と魚釣り用のボートを入手した。畑では年間を通して必要な野菜を自給できる。湾内では季節に合わせて海藻や貝が採れ、魚が釣れる。ここ瀬戸内町の集落は三方が山に囲まれ、一方が海に開いている。湾内は遠浅で、その先にはサンゴの群生が広がっています。
精を出せば自給どころか、都会に住む子・孫・兄弟姉妹に送れるほどの収穫があります。
カネさえあれば何でも手に入る都会とは違い、モノには恵まれていないが、カネには換えられない心の豊かさが得られます。
子や孫は都会に住み遠く離れているが、お互いに行ったり来たりの交流は、我々にとって何よりの楽しみであり、子や孫にとっても田舎を持つ事の意義は大きい。
4 予想しなかった出来事
地元の高校を卒業して以来、国内外の仕事・生活の体験で身についた常識・文化は、Uターン後の生活で予想さえできなかった出来事に出会う。私にとって当たり前の事が地元の人とは違うのである。いわゆるカルチャ―ショックでした。
地元の人との生活の違いは、現実として存在します。気配りは欠かせません。集落住民の約7割は高齢者であり、自立の生活は困難で相互扶助で成り立っています。気配りだけでなく共同体の一員として、集落の共同作業・年間行事・葬式への参加は欠かせません。都会生活に慣れた身には、わずらわしい面は確かにあります。
過去に解散した青壮年団や老人クラブの復活を要請され、会長も引き受けてきました。また、母校の同窓会長・PTAの相談役・行政の各種委員など要請があれば、協力することにしています。私が協力・引き受けるのは、ボランティア活動に限定しています。
Uターン前は自適悠々の生活を夢見ていたが、このように予想もしなかったことを体験させてくれる。しかし地域社会に役立つ事は、心の充実感を満たしてくれるのです。