広報せとうち
平成13年6月号

人口のうごき
       平成13年5月1日現在
総人口


世帯数 
 11,779
5,626
6,153
5,696
(+138)
(+69)
(+69)
(+100)
カッコ内は前月との比較
梅雨入り
 雨の中 植物たちは潤いを得てその
美しさを競い合っているようです。
 
小高町と友好都市盟約を締結
IT講習スタート
第5回三島バレーボール大会
阿木名集落に農業集落排水処理施設が完成
営農支援センターで修了式と入所式
瀬戸内町地区対抗バレーボール大会
武田勝次さんチャイルドシート40台を寄贈
ふるさとの自然(諸鈍のデイゴ並木)
ふるさとの文化財(板付舟)



桜小高町と友好都市盟約を締結

 作家の故島尾敏雄氏を縁とした本町と福島県小高町による友好都市盟約締結式典が5月20日小高町の浮舟文化会館であり、義永町長と江井績小高町長が盟約書を交わしました。また、祝賀会では武下和平さんによる島唄も披露されました。

 ☆小高町紹介

 小高町は、福島県の東端部相馬郡の最南端部にあり、東京都心までの距離は約 270 、福島市といわき市まで約70 、仙台市まで約80 の位置にあります。
<位置>
 ☆東 経 140度59分
 ☆北 緯  37度33分
 ☆面 積   91.95 
<人口>
 ☆総人口  13,918人
 ☆ 男    6,723人
 ☆ 女    7,195人
 ☆世帯数   3,687戸
<歴史>
  1189年平将門の子孫である相馬氏が支配するようになり、次第に周りの地 方豪族をも傘下に集め近世大名に成長し、長い封建制度が終わるまで、一度の国 替えもなく、相馬藩政が続いた町です。
  明治4年の廃藩置県により小高村ほか31か村に分割されましたが、明治21 年市町村制が布かれ、小高村(同31年小高町となる)、福浦村・金房村の3か 村となったのです。
  昭和になって新しい法のもとに町村合併が促進され、昭和29年3月31日付 をもって1町2か村が合併、新しい小高町が発足し、現在に至っています。








桜IT講習スタート

  瀬戸内町らくらくインターネット塾が開講

 
 町民の皆さんが「メール」や「インターネット」を活用できる能力を獲得し、情報通信技術を使った豊かな地域生活の基礎とすることを目指して、瀬戸内町らくらくインターネット塾が5月28日瀬戸内町物産館で開講しました。 IT(インフォメーションテクノロジー)講習は、すべての国民がIT革命の恩恵を享受できるよう、IT国民普及運動として地方公共団体が行なうIT講習の飛躍的な拡大を図り、一人でも多くの住民がITに関する基礎技術を習得していただくために地方公共団体が開催する講習会で、国は、IT講習の開催を支援することとし、平成12年度補正予算において「情報通信技術講習特別交付金」(補正予算額545億4900万円)を創設し、都道府県に対し交付しました。
 塾は一講座が12時間で、平日の昼の部が3時から5時、夜の部が7時から9時までの2時間の6日間と日曜日の9時から休憩時間を挟んで5時までの6時間の2回となっていて、12月までの55講座が予定されています。
 5月28日に行われた第1回目の講座には、受講生20名全員が出席し、1人に1台のパソコンを使い講習会が始まりました。講師は、本町出身の畑弘己さんが代表を勤めるランディク社から2名の講師とアシスタント1名、永年コンピューター関係の会社に勤めていて、昨年管鈍に帰ってきた森さんが務めます。
初めてパソコンをいじる主婦やお年寄りも、きめ細かな指導を受けながら基本操作に真剣な表情で取り組んでいました。














桜第5回三島(与路島・請島・加計呂麻島)バレーボール大会

 


 第5回三島バレーボール大会(請・与路・加計呂麻連合青年団主催)が、5月20日(日)に薩川中学校体育館をメイン会場として、俵中学校・西阿室小学校の3会場を使って行われました。
 この大会は、バレーボールを通して三島のスポーツの振興と青年層の親睦を深め、教育の問題、産業の問題等これからの三島の在り方を話し、今後の地域の活性化を促進することを目的に毎年開催されています。
 大会には、三島のチームの他古仁屋在住チームなど20チームが参加し、熱戦を繰り広げました。決勝リーグは、各会場を勝ち上がったクラブKチーム・請ゆりチーム・連合青年団チームが総当たり戦を行い、各チーム一勝一敗の接戦となりましたが、セット率で上回った連合青年団チームが初優勝を飾りました。
 その後、瀬武公民館で行われた親睦会では、外の雨を吹き飛ばし青空に変えるぐらいに盛り上がり、時のたつのを忘れて楽しそうにお酒を酌み交わしていました。










桜阿木名集落に農業集落排水処理施設が完成


 農業集落排水事業の中核施設として整備を進めていた阿木名集落の処理施設がほぼ完成し、本体機械設備の調整工事を行い一部供用開始となることになりました。また、平成15年度までには残りの管路工事を終了させ、全戸を対象に利用が可能な状態になります。これにより今まで垂れ流し状態だった生活排水が浄化されて基準以下で公共水域に排出されるため、環境保全つながるものと期待されています。
 本事業は平成9年から管路工事に着手し、平成10年からは処理施設工事が行われ、平成12年度までに管路が3453メートル(全体の87.1%)を敷設。本体工事も基礎、地階水槽、建家、機械設置と工事を進めてきて、今年度は一部供用開始に備えて本体機械設備の調整工事を行ないます。
 町による集落説明会が4月15日にあり、事業の概要や宅地内配管工事、利用申請の方法、維持管理料などの説明がなされ、今年度は50戸の利用を予定して、6月の定例議会での条例可決を経て7月ごろから一部供用を開始します。



                                               

桜営農支援センターで終了式と入所式


 町営農支援センターの修了式と入所式が、6月15日同センターであり、昨年度からスタートした農業研修制度の初めての修了生として峰正洋さん、永井國範さん、前川勇さんの3人を送り出し、今年度は池田フミエさんと大和田達也さんの2人が入所しました。池田さんは請島から通いながらキクの栽培技術を、Iターンで奄美の大地に夢をかける大和田さんはパッションフルーツの栽培技術を中心に一年間研修を受けていくことになりました。
 同センターは、平成7年度から奄振の新規事業としてスタートした奄美群島園芸振興産地確立支援事業で、総事業費約9000万円をかけ平成11年4月に完成しました。群島内では名瀬市、天城町、喜界町、和泊町に次いで5番目となる地域農業拠点施設で、営農相談室、研修室、機械納入の倉庫などを配置。付帯施設・機械として、鉄骨ハウス一棟、トラクター、管理機、防除機、選花機、選果機などが整備されています。





桜瀬戸内町地区対抗バレーボール大会


   瀬久井東・清水Aが初優勝


 平成13年度瀬戸内町地区対抗バレーボール大会(瀬戸内町教育委員会主催)が、5月13日(日)に清水公園総合体育館で行われました。
 この大会は、瀬戸内町の各地域の自治会員がバレーボール大会を通じて連帯感を深めることにより自治意識の高揚に務め、さらに自治会間の親睦と交流を図ることにより、今後の自治会活動の活性化を促進することを目的に開催されました。大会には、12チームが参加し、熱戦を繰り広げました。予選から他チームを寄せ付けない強さを見せた瀬久井東・清水Aチームが前試合ストレートで初優勝の栄冠を手にしました。
▽準々決勝
瀬久井東・清水B 2−1 諸鈍
高丘 2−0 宮前
瀬久井西 2−0 山郷
瀬久井東・清水A 2−0 春日
▽準決勝
高丘 2−0 瀬久井東・清水B
瀬久井東・清水A 2−0 瀬久井西
▽決勝 瀬久井東・清水A 21−17 高丘
21−7

  
 
 
 

桜武田勝次さんチャイルドシート40台を寄贈



 大阪で事業を営んでいる本町知之浦出身の武田勝次さんからこのほど「奄美の将来を担う、大事な子ども達の命を守ってほしい」と言うあたたかい願いで、本町へチャイルドシート40台が寄贈されました。
 今回の心温まる好意に対して町長は、「大変ありがたいことです。たくさんの人に使ってもらえるように町民に知らせたいと思います。わが郷土の未来を思う出身者の御心に、頭が下がります。」と感謝の言葉を寄せました。








桜ふるさとの自然

 諸鈍のデイゴ並木


 今年は、昨年より20日早い5月6日に梅雨入りし、野山ではコンロンカ、ノボタン等の花が雨の中に喜々として映えています。特に今年は各集落にあるデイゴが満開となり、梅雨空の薄暗い中に浮き出てくるような赤い姿を見せています。「デイゴの花が多く咲くときは風が吹く」と言われていますが、その諺を裏付けるように5月14日に台風1号が奄美に接近しました。このことは台風に番号が付くようになった昭和15年以来、1号が奄美地方に接近したのは初めてとのことです。
 台風が来るのはあまり歓迎することではないのですが、海岸線に整然と並ぶ木々が真っ赤な衣を羽織っている姿をみると、風の怖さより紅色の花がより多く開くことを願ってしまいます。
 その昔、沖縄との交易が盛んなときに目印として植えられたと言われている諸鈍のデイゴ並木ですが、沖縄から羅針盤もなく勘だけで渡って来る人達にとって、島影に真っ赤な海岸線が見えたときの感動は、その美しさだけではなく安らぎも与えてくれたのだと、この並木を見ていると感じてきます。





桜ふるさとの文化財

 板付舟


 昭和初期の頃までは、松の木で作ったくり舟を、どの集落でも見かけることが出来たようです。その後、現在船こぎ競争に使われている板付舟に変わってきましたが、今では板付舟で漁をしている姿がほとんど見られなくなりました。
 板付船には、漁業用の普通型のほかにコバヤとかナガクチャなどとよばれる10人こぎ以上の大型のものもあったようです。昭和30年代後半からエンジンを取り付けたイタツケが普及し、もともと湾内での一本釣りが主であった板付舟での漁業は、動力化がなされるにつれて沿岸の遠くまで出かけることが出来るようになりました。
 その一本釣りの漁法は、ウルシと呼ばれるたまご大の小石に、ユドウ(餌)とカブシ(撒き餌)を一緒に巻いて、海底から適当な高さで糸をほどきカブシを散らし、魚を集めて釣るというものです。今でも板付舟を見ていると、そののどかな釣りが目に浮かんで来るようです。