(阿鉄は)昔はイキガチと呼んでいました。人口も戦前は六百人ほどいたようです。戦後まで水車のサタ小屋が二つあったことを覚えています。四十年前までは「待ち網漁」もありましたね。減反政策で稲作はなくなり、出稼ぎするようになったが、みんな働き者でね、パインやタンカン、時計草(パッションフルーツ)などいろんなものを作っていました。
ここの人は、一度作ったらなかなか変えないから、今もパインなど以前からのものを作っています。若者が定着しないと町もシマも活性化しないので、人口減少に歯止めをかけることが(町政の)第一の課題だと思います。どうしたら若者が定着するか。
例えば、住まいぐらいは用意してやるとか。家が定まれば、海など自然は豊かですから若い人は自分たちで何かを起こす。そうした手助けが必要だと思います。
伝統行事
旧暦八月十五日前後の土曜日に集落の公民館前広場で豊年祭・敬老会がある。旧暦九月六日には集落背後のティラヤマにある厳島神社で神社祭があり、ミキや餅などを備え、参加者は夜遅くまで料理や八月踊りを楽しむ。以前はトギ(通夜)があり、子供たちはムチムレ(餅もらい)を楽しんだ。
メモ
集落はソチ(東地区)とサトで構成される。ティラヤマのふもとには一九六一年(昭和三十六年)まで油井小の分校があった。