古志

 古志の人は働き者でキビのほか豚、牛、ヤギなどを飼っていましたね。小型製糖工場も1ヶ所、大島紬工場は2ヶ所ありました。(集落の人々は)人口が減ってことが一番さびしいと言っていますので、お年寄りなどがさびしい思いをしないような人口を増やし、裕福な町になってほしいですね。

伝統行事

 旧暦8月15日に十五夜豊年祭・敬老会が地区公民館である。外部参加者への配慮から、出身者などへの招待・案内はせず、自前で行う。アラセツには新築した家のヤーマワリ(家回り)がある。

メモ

 戦前は「古志大根」で知られるように農業の盛んな集落。集落の入り口にある古志小学校は5年前に最後の卒業生を送り出し、今月廃校となった。伊目集落寄りの浦はどんな暴風雨時にもいったん避難したら絶対安泰」といわれた天然の避難港。今は無人だが、戦前は20戸の農家があったとされる。篠川側の小字の越地(こえち)はシマ唄「いそかな節」で知られる。「梅西主(うめにししゅ)だかちいもゆる梅西主いそかな墓ち花活けが」梅西主は本名・徳梅西(とく・うめにし)。越地の豪農で明治初期には砂糖の検査員を務めた。息子の徴兵検査をめぐり、国と争うほどの剛毅な性格だったが、愛妻「いそ加那」を海の不慮の事故で失い、悲嘆に暮れた。日々、いそ加那の墓に通い、花を取り替える梅西主。そばで見るもいたましいその姿を歌ったのがいそかな節。梅西の屋敷跡は現在も越地にある。

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